書きたいことが無いのではない。
書きたいことがあるのに書けないんだ。
書き言葉と話し言葉
書き言葉と話し言葉は固体と気体ほどに違う。文字として起こすということはゆらゆらと輪郭のはっきりしていない考えを圧縮して固定化すること。簡単じゃない。
こんなこと考えたよと人に話したことでも文章にしようとすると絶望する。口頭で話した内容にどれだけ粗があったかがわかる。文章とするのに耐えうる(少なくとも自分にとって)ものにするのも、それを伝えることも、めちゃくちゃ難しい。
でも書いているうちに少ーし洗練されていることがわかる。それって楽しいじゃん。積極的に書いていきたい。
正しくあろうとしすぎる病
仲の良い友人にNHKのアナウンサーみたいだと笑われたことがある。
断定を極端に避けるからだ。
「~とか、個人的には、思う、かもしれない」
そんな言葉や見難い丸括弧のオンパレードだ。
責任を逃れたいんだと思う。初心者を免罪符にするのに似ている。
書き言葉は無慈悲だ。記録媒体は自ら忘れてはくれない。
でも編集はできる。最初から完成品を出そうとしないで、とりあえず出して、それから修正したり整えていくのでもいいか。
そもそも誰から見ても正しいことなんで書けるはずもない。1年後の自分が見たらバカなこと書いたなぁと思うことでも1年前の自分から見たら面白いかもしれない。今書けることを書けばいいじゃないか。
はじめから上手くやろうとし過ぎているんだと思う。だれでも初めはクソを垂れてるもんだ。
もっと矛盾を愛していきたい。もっとクソを垂れていきたい。
以上、もうちょっと不真面目にやっていくんだという、ちょっと真面目な宣言でした。