少し前に読んだ日本語のレトリック―文章表現の技法 (岩波ジュニア新書)という本について書こうと思う。ジュニア新書ながらも学ぶことが多かった。
昔から文章を書くことにものすごい苦手意識を持っている。ブログを書く動機のひとつにも、もう少しまともな文章を書けるようになりたいということがある。
今になって思うと、何の感銘も受けない本の感想文を無理やりひねり出さなければならなかったり、何の感慨もないのに節目節目で書かされた謎の作文で植え付けられたトラウマのような気もしないでもないが。ともかく防衛機制として、どう語るかよりも何を語るかが大事だと頑なに思ってきた。自分が文章を書く際には主に「意図した内容が誤解のないように伝わるか」をものさしとしてきた。
しかし最近は少し考えを改めるようになった。自分が正しいと思うことを論証のような形で示しても、納得してもらえない場面というのは多々あるからだ。自分には正しいとは思えないことでも何故か人が納得しているということも少なくない。そんなこんなで言葉に力が欲しくて、修辞学や弁論術に興味を持つようになり手にとったのがこの本である。
本書では
レトリックとは、あらゆる話題に対して魅力的な言葉で人を説得する技術体系である。
と定義し、レトリックを五部門
- 発想
- 配置
- 修辞(文体)
- 記憶
- 発表
に分け、そのうち修辞(文体)部門を主に扱っている。文章に肉付けをする部門である。
隠喩や倒置法といったお馴染みのものから名前には馴染みのないものまで30の技法を実例を交えつつ解説していく。
普段から意識をせずに使ったり目に入れている技法に気づきそれをパターンとして認識していくことだけでも面白いがそれだけではない。
奇妙に聞こえるかもしれないがこの本を読んでいて自分が一番感動した部分はあとがきである。どうにも上手く引用出来そうにないので引用はしないでおく。
日頃概念と単語のレベルでは言語に依存しない構造を見つけて喜んでいたりはしたが、自分はレトリックを軽視していた。日本語の修辞技法として扱われているものは日本語だけでなく他言語にもある。というよりも多くの言語が持っている共通の構造である。
レトリックを学ぶということは、普遍的な人間の思考の型を学ぶことでもあったのだ。